陶芸を通じて、生涯「自分さがし」の旅
四万十市安並で陶房「ねねむ」を主謀している橋村夫妻。
夫婦でありながら、お互いのアイデンティティを確立して行く上において、なくてはならない相互関係を築いている。
四万十市安並で陶房「ねねむ」を主謀している橋村夫妻。
夫婦でありながら、お互いのアイデンティティを確立して行く上において、なくてはならない相互関係を築いている。
「なによりも食べものは美味しいし、自然環境が最高!四万十に住むのは運命だったような気がします」
とにこやかに話してくれる小池雄一さん。
41歳の時、たまたま縁あって四万十市に住むことを決意しました。
来た当時は、環境の変化や方言など戸惑うこともありましたが、田舎の生活にもすっかり慣れ、また友人もでき、休みのときは趣味のサイクリングで幡多地域を駆け廻っています。
「健康増進法のひとつ。自転車仲間募集中!」と張り切っています。
現在は四万十市で、2007年より「こいけクリニック」を開院。
訪れる患者様にご安心いただき、気持ちよく過ごしていただけることを第一に心掛けています。
年少の頃より絵が好きで、画家をめざし上京。
当時の東京はビートルズ来日で沸き返っている頃、高円寺の安アパートで浪人生活。
ビル清掃作業など、今でいうフリーターで食いつないだ。
当時はアメリカのヒッピーに影響を受けた若者達、
俗にフーテンと呼ばれる人たちが出始めた頃で、
時代は渾沌としていた。
(さらに…)
四万十市名鹿の小高い山中で農場を営む一圓信明さん。ひいおじいさんがこの場所で農業を始め、おじいさん、お父さんと続き、四代目になる。姉二人の長男末っ子で生まれた信明さんも小さな頃から農業を継ぐ事を意識していたが、幡多農業高校を卒業し、広島で林業を行う会社に就職した。
その頃は、「木を切ったり、木を切ったり、木を切ったり(笑)」する毎日だったそうだ。そして、21歳で帰郷。農業を手伝いながらも、夜は飲み屋さんでバイト。毎日遊ぶのが楽しくて楽しくてしょうがなかった。 そして、そんな23歳の時、バイト先に飲みに来た5歳年上のケイさんに一目惚れ。それから、毎日、「結婚しょう、結婚しょう!」と言い続け、4カ月後に結婚。それを機に本格的に農業に専念しようと決意した。
「竹島のぶどう作りのおんちゃん」といえば、知る人ぞ知る有名人の池本博さん。建設業を経営していたが、十数年前より時代の流れを察知し、業体変革を図り、昔から「美味しい!」と評判だった竹島梨とぶどう栽培を始める。売り場もいるということで、5年前より産直の「彩り市場」を開業。現在では、梨畑が約1町、ぶどうは約2反、柑橘類を1町5反栽培している。「自分が食べて自信がないと、市場にださない」が信条で、今年も評判が良く完売状態です。
農業は「自然相手で気がぬけんが、愛情込めてやればやるほどいい作物ができる」と博さん。現在は、お孫さんの高知県青年農業士の潤くん(28歳)と伶央くん(23歳)の二人に跡を継いでもらっている。