上岡洋介 <自宅アトリエにて>
●転機
指導者のいない高校の美術部員3人は「ちゃんと美術を習いたい」という思いで暗中模索の日々をおくっていた。そんなとき、四万十市の画廊で後に師匠となる宮崎嘉夫さんと出会う。放課後3人は、自転車で山路の宮崎さんのアリトエに通い詰める様になる。そこで宮崎さんに師事している一般の人達に交じって、同じモチーフを描いて展覧会に出品した。油絵を専門的に学ぶ環境を得た上岡は絵画の技術・制作の精神を習得した。
目的に向かって歩みだした上岡は、大阪芸術大学に合格する。4年間、具象絵画を専門的に学び、卒業後は幡多に帰って来る。県展・四万十市展などに意欲的に出品し、【県展】洋画特選1回・褒状3回、【市展】洋画無鑑査・褒状4回などの評価を受けている。
2009年10月 第63回 高知県美術展覧会 特選を受賞した作品からは、貪欲に新たな試みを続ける、制作者としての強烈な探求心がうかがえる。指導者として、もの造りに携わる者としてあるべき姿を、指し示しているようにも見える。
目標はレーサーになる事
「四歳の頃、父がスカイラインの『ハコスカ』に乗りよって、ハンドルを握ったことを覚えちょる」と、泰士さん。
父の「車好き」の影響で、子どもの頃から車マニア。
中学生の時、TVで見たレースに衝撃を覚え、レーサーになることを夢みた。
高校卒業の際、父より「大学を卒業したら好きなようにしろ!」と言われ北九州の大学へ進学。とにかくレーサーになる事しか頭になく、アルバイトをしながら小倉のレーシングチームに所属し、車に明け暮れる毎日だった。
のどかな三原の山間で、今日もい~ちゃんは元気に大根の種まきに精を出している。
い~ちゃん(東 伊豆雄さん)は8年前よりふる里に帰り、米や野菜作りをしているお百姓さん。
「畑が2.5反、田んぼがおよそ5反くらい。一人じゃけん精一杯よ」
とい~ちゃん。
奥さんの俊子さんは、
「私は都会育ちやから、田舎に帰ってお百姓仕事はできん!」
と、猛反対だったとか。
でも今では旦那様の良き理解者としてお手伝いをしている。
「収穫した野菜やお米は、全部ふれあい市かお客さまへの直接販売。作り手、売り手、買い手の顔が見えんと不安ながよ」
と、い~ちゃん。
自分の作った野菜が「おいしかったぜ!」と言って頂く事に最大の喜びを感じるそうです。
ふる里は四万十川
2002年、ソルトレイクシティ冬期オリンピックの女子スノーボードに出場した橋本通代さんが、ふる里に帰ってきた。
通代さんの生まれは大阪の寝屋川市だが、「母が四万十市川登の出身で、子どもの頃はよく四万十川で遊んだ」と通代さん。
3年前より両親共にUターン、2人の子どもと里帰り中です。
通代さんは、『世界一になりたい!』を目標に、わずか3年でプロ資格を取得し、その後、日本女子スノーボードのトップに、そして世界ランキング6位にまでなり、当時「飛び姫」と脚光を浴びた素敵な女性です。
大月が好きじゃけん!
「2年前、『われ、大月に帰って炭焼きせんか!』
と先輩の中田さんに誘われたのがきっかけでした」と、浜田くんは振り返る。
「当時、高知市内で働いてたが、先輩の言葉にノーはない、ということと、いずれは郷里の大月に帰って働きたいと考えてた矢先のことじゃった」
と浜田くん。
炭焼きに関する知識は何もなかったが、とにかく地元の大月は好きだったので帰ってきた。
そして大月町では、かつて盛んに「炭焼き」が行われていたことや、ウバメガシの豊かな生産地で、このカシの木を原料とする備長炭は高級品として重宝されることなどいろいろと勉強をした。