目標はレーサーになる事
「四歳の頃、父がスカイラインの『ハコスカ』に乗りよって、ハンドルを握ったことを覚えちょる」と、泰士さん。
父の「車好き」の影響で、子どもの頃から車マニア。
中学生の時、TVで見たレースに衝撃を覚え、レーサーになることを夢みた。
高校卒業の際、父より「大学を卒業したら好きなようにしろ!」と言われ北九州の大学へ進学。とにかくレーサーになる事しか頭になく、アルバイトをしながら小倉のレーシングチームに所属し、車に明け暮れる毎日だった。
大学三年の時、「もっと上を目指したい」と、イギリスのレーシングスクールへ入学。
「本場イギリスでの大会に出場し表彰台(三位)に上がった事は楽しい思いで。そしてこれでいけると思った」と泰士さん。
日本へ帰り、山口県のレーシングチームに所属、鈴鹿など国内のレースにも出場した。
二十四歳の時、「もう一度本場イギリスで!」と渡英し、一年間レースに明け暮れる。
しかし、レース業界で生きて行くには莫大な資金がかかり、大手スポンサーがつかない限り続行不能となり、結果断念、郷里に帰る事になった。
あらたケアサービス開業
「プロのレーサーにはなれなかったが、夢をあきらめずに進んで行くことが一番大事な事だった」
と、泰士さんは振り返る。
四万十に帰り、ぽっかりと心に穴が空いていた時、愛媛の叔父さんの「これからは老人介護・福祉の仕事」の一言がヒントを与えてくれた。
早速ヘルパーの資格を修得し、現場でのボランティアを経験後、二十九歳の時『あらたケアサービス』を開業。
現在、四万十市中心に幡多一円、飛び廻っている。
在宅で過ごされているお年寄りの方々に、介護福祉士やホームヘルパーを派遣、また宅配弁当など生活面での援助を提供している。
「大変な仕事だけれど、『来てもらって良かった』と言ってもらう事が一番嬉しい」と、泰士さん。
子どもたちに『夢』を
「夢をもつ事の大切さを知ってほしい」
と、次世代を担う子ども達に、様々な分野で活躍されているプロの方々をお招きして、講演会やイベントを開催している。
また、ビートスカッシュ・あらた杯主催や、最近日本でも人気のスラックライン四万十大会の開催にむけての準備も進めている。
アラタ・ドリームプロジェクト
「幡多のアイドルユニット作ろうよ!」と、一般公募で女性五人組『レーヴ』を結成。
現在、ダンスや歌など特訓中で、今年の十一月デビューを目指している。
「ざまに忙しいけんど、皆さんに助けて頂きながら自分も楽しんでやっている」
と、笑顔を絶やさない泰士さんでした。
荒川 泰士
昭和51年1月8日生れ
有限会社あらたケアサービス
四万十市具同6253-11
TEL 0880-31-1313