ふる里は四万十川
2002年、ソルトレイクシティ冬期オリンピックの女子スノーボードに出場した橋本通代さんが、ふる里に帰ってきた。
通代さんの生まれは大阪の寝屋川市だが、「母が四万十市川登の出身で、子どもの頃はよく四万十川で遊んだ」と通代さん。
3年前より両親共にUターン、2人の子どもと里帰り中です。
通代さんは、『世界一になりたい!』を目標に、わずか3年でプロ資格を取得し、その後、日本女子スノーボードのトップに、そして世界ランキング6位にまでなり、当時「飛び姫」と脚光を浴びた素敵な女性です。
体育は苦手だった・・・
「幼い頃は引っ込み思案で、運動は苦手だった」と、母・巴さん。明るい性格に変わったのは小学2年の時。体調をくずし入院し、大部屋でいろいろな人たちとふれ合ったのがきっかけだったという。
スノーボードを始めるきっかけは「大学卒業後、ワーキングホリディビザでカナダに行き、ホストファミリーの父に薦められた」と通代さん。
カナダから帰国後、練習に明け暮れ、その成果が認められ、1998年JSBAプロツアーにて優勝。
その後も国内外で転戦し、スノーボードを始めて5年目にワールドカップ2戦連続2位となる。
より高く、美しく!
通代さんのジャンプの特徴は、一級品の高さ。ソルトレイクシティのオリンピック結果での新聞記事に
「青い空に向かってボードをまるで小さな雲のように操り、高々と舞った瞬間、観客から『ウォー』という歓声が響いた。より高く、より美しく、ミっちゃんのシルエットが白銀に映えた」
と報道されている。
結果は12位(ファイナリスト)。
オリンピック出場に至までには、資金面などいろいろな苦労があったという。
「たくさんの人たちが心暖まるご支援と応援をしてくれた。感謝の気持ちでいっぱい」
と振り返る通代さん。
2006年、引退後は、「自分のこれまでの経験を生かし、スノーボードを通じて、キラキラと輝く子ども達を育てたい。」と、子どもスノーボード教室「キララキャンプ」を主宰。
スノーボード体験から世界へ飛び出すキッズまでのプログラムを行っている。
「キララ@四万十」開催
「四万十は大好き」そしてスノーボードをした雪国も大好きな場所、ということで、「夏は高知の大自然から学び、冬は福島で雪やスノーボードから学ぶ」をコンセプトにしている。
今回は東北から5名のキララキッズが参加。高知市や地元の子ども達とともに、黒尊川での川遊びに、カヌーやキャンプなど5泊6日を大いに楽しみました。
次回は雪国で、ということでこの「雪国・南国プロジェクトをゆっくり進めて行きたい!」と語ってくれた、笑顔が素敵なミっちゃんでした。
橋本 通代
1972年7月6日生れ 大阪府出身
子どもスノーボード教室
「KIRARA KAMP」主宰